ニートの哲学日記

生き生きするための日記

全体性

 今の私たちにの中に無意識のうちに(あるいは意識している人もいると思いますが、)使っている頭の使い方(物の見方)は『分離と分解』と言えると考えます。何かを理解するときに、分離の段階と分解の段階を踏みます。分離の段階では、世界から対象を分離させます。また、自分自身からも対象を分離させます。分解の段階では、その二つの意味で分離させたものを細かく分解していきます。特にビジネスの場面ではこのような頭の使い方が適していると考えます。

 しかし、『分離と分解』の思考法は万能ではありません。すべての物の見方に適応できるわけではありません。その例として芸術が挙げられます。何が美しいのかという疑問は人それぞれであると認識されており、『分離と分解』の思考法を用いても美しさについて測ることはできません。

 『全体性』の物の見方は『分離と分解』の物の見方よりもより普遍的な物の見方であると考えます。何かものを見るときは、その物だけではなくそのほかの様々な付帯するものも含めて考える、つまり全体としてとらえるということです。木になっているリンゴを見て美しいと感じたとします。リンゴの美しさは、リンゴの芯の部分、葉っぱ、枝、幹、木全体、さらには他の木、地面、背景の空、、、などそれぞれの調和によって感じ取るということです。

 

終わり